2011年3月1日火曜日

社名に守られた、ふざけた社会人

3/1、火曜日。

終日、社内。
2月の月次仕事や、3月の計画づくりや諸々。

主には、TELアポ。

「職種(営業とか企画とか研究開発とか)」を切り口に、各回4社を招いたパネルディスカッション形式の「キャリアサポートセミナー(全学年対象)」を複数大学で開催する。

・早稲田大学(5月~7月。全4回)
・千葉大学(7月~11月。全5回)
・横浜国立大学(6月~7月。全5回)
・立教大学(日程調整中)

での開催が既に決まっており、一部の企画を企業にご紹介しているわけである。

「株式会社i4の伊藤と申します。大学キャリアセンターさんと共催で、全学年対象のキャリアサポートセミナーを学内で実施します。お忙しい時期であることは『重々承知ではございますが』(←ここ、力強く)2~30分、頂戴できないでしょうか」

そういう、採用担当者向けのTELアポである。

セミナー全体の仕組み、大学の意向などもあり、面識がない企業の方に、このタイミングでTELアポしなくてはいけないんだけどね、そして、回ごとの企業参画決定状況など諸々あり、やみくもにアポをとればいいというわけでもないんだけどね、本日は、かけた。結構、かけた。1人で会社運営するということは、アカデミックにキャリア論を議論することもあれば、ビジネスとしての企画を考えることも、こういうド・営業も、ファシリテーターという本業も、セミナー開催後のアンケート集計も、月末月初の事務仕事も、ぜ~んぶ自分でやるわけである。で、しつこいが、今日はド・営業の日として、TELアポしたのだ。

ふと、むかし、某企業向けの提案書に、こう書いたことを思い出した。

「学生、という名の学生はいません」

確か、母集団形成、確率論の採用戦術から、一人ひとりと向き合い、積み上げ型の採用戦術に変えましょう、という趣旨の提案書のサブタイトルだった気がするのだが、なぜこのフレーズを思い出したかというと

「○○社、という名の社会人はいないな」

と思ったからである。

いや、正確に言うと

「○○社、という名のもとで、ふざけた社会人っているな」

と思ったのである。

繰り返すが、採用担当者の方がものすごく忙しい時期であることは承知している。そして、話を聞かずにアポを断った企業に対してムッとしたり、凹んだり、愚痴りたいとか、そういうことではない。お互い、ビジネスだから、不要と思えば、不急と思えば、ではお会いしましょう、とはならない。少なくとも私は、ビジネスに感情を挟むことは、そのデメリットの方が大きいと考えているから、感情を挟まない。それはそれでいいのだ。だが、ユーザー側(消費者側)の企業ブランドはいいのに、驚くような言葉遣い、対応をする人たちが稀にいて、仕事を終えてから思ったのだ。

電話応対が悪い人たちって、名乗らないな。

と。

「大学」に「企業」を招き「学生」向けにセミナーを企画運営しているからこそ、そこに一人ひとりの人生があり、背景があり、思いがあり、その日の気分や事情があることを忘れないようにする。そして、自社の他の人たち一人ひとりが積み上げてきた「ブランド」を電話応対ひとつで傷つけていることにすら気づけない、「名乗ることもできない社会人」をセミナーには呼ばないようにする。

起業1年目って、1年目にお世話になった方のこと、ずーっと忘れないものだと思う。逆も然り。

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