2011年6月1日水曜日

大学は学生が学問に打ちこめる環境が整っている

5/31、火曜日。

お問合せ頂いた企業へ訪問。商談。
複数大学へのセミナー参加を即決してくださる。感謝。

新宿から湘南新宿ラインに乗って、横浜へ。

来週から始まるセミナーについての諸々のため、横浜国大へ行き、チラシ補充したり、ポスター貼り位置のチェックをしたり。横浜国大については、キャリア教育推進部、学生支援課、工学府の就職担当教授、と複数の方々と一緒になってセミナーを開く。皆さん、今年から始める本セミナーを成功させるため、関係部局との調整等、いろいろ動いてくださっている。感謝。成功させる。

ちょうど良い気温のなか、キャンパスを歩き回りながら、大学は学生が勉強に打ち込める環境が整っているなぁとしみじみ思う。

自分が学生のときには気付かなかったけれど、ビジネス社会からは隔離された、広いキャンパス、四季を感じられる自然などが最たるものの気がする。

学問はビジネスではない。

ビジネスの基本は「価値提供して対価として利益を得る」ことであり、「利益を最大化させる」ことである。だから、究極は「とても大きな価値と利益を生み出すけれど、そのための原価や労力がゼロ」がクールに言ってしまえば理想である(「働くことそのものの喜び」とか「汗水たらす美徳」とかは一旦おいておいて)。

一方で、学問は「これを勉強すれば自分にどんな利益が生まれるのか」という問いかけをした時点で、学問だからこそ果たせる役割が消失してしまう気がする。うまく説明できないのだけれど。

「オール優の成績で卒業したって、成績と就職ってほとんど関係ないんでしょ?だったら適当にやって卒業すればいいじゃん」

このあたり前の考え方には、反論、という形式ではなく、「だって、学問って面白いじゃん」と思える並列軸こそが必要になるんじゃないだろうか。

その実現には、ビジネス社会とは隔離された立地、広くて「主役は自分たちである」と闊歩できるキャンパス、心地よく新緑を感じられる自然状況、そういった大学だからこそ可能な諸条件が大きく寄与する気がするのだ。

そのうえで「学問って面白いじゃん」という、「知らないことを知る」かつ「世の中は知らないことだらけだという事実を知る」という、学びへの「おもしろがりスイッチ」を起動させるのが、先生方の御役目ではなかろうかと思うわけである。

そんなことを考えているとメールで「ブ・ラジャー!」という返信がくる。この方、昔からいつも「了解!」を「ブ・ラジャー!」と書くのだ。社長なんだけどね。年上なんだけどね。私はそのメールが嫌いじゃないし、私はその社長が好きだ。

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