2011年8月17日水曜日

就職・採用マッチングのあり方

8/16、火曜日。

午前中、1社商談。
駅から坂道を徒歩7,8分の場所なのだが、着く頃には汗が噴き出している。
考えてみれば数年前まで、この真夏でもネクタイ締めて長袖のワイシャツで外出していたかと思うと(今でも自分の美学や業界によってそうしている人たちもいるようだが)、なかなかのものである。もう戻せない気がする。慣れは恐い。


商談後、ルノアール(喫茶店)で仕事。
昼食時に込み始めたが、それまではガラガラで仕事が捗る。まだお盆中だと実感。昨年の今頃は、仕事がいくつか決まり、ホッとしたものの、時間だけは結構あった(≒商品があまりなかった)ので、ルノアールでよく仕事(や仕事関連の読書)をしていた。インタビューを受けている人や、結構な人数での会議が普通の光景で、「喫茶店」というより「共有仕事スペース」といった感じで利用していた。

そうそう、嫁が誕生日だったので、ルノアールで手紙も書く。もちろん手書き。毎日顔合わせているし、最近は“事件”がないから会話もしているんだけれど、お祝いと感謝の気持ちを言葉にして伝える。夜、渡すと、もちろん喜んでくれたのだが「もらった手紙は、ぜんぶ持ってるからね」と笑顔で言われた。うん、私の場合、反省文やら詫び状やらも何度も書いているんだよね。


夕方、主に大学の先生や大企業で構成されている、就職関連の某研究会の資料を読む。読み応えあり。いわゆる上位校では、ますます就職情報会社抜きでの、大企業との直接マッチングを志向する人が多いように読めた。

学生→カウンセラー→入社実績を元にした特定企業群とのシステム内マッチング→企業、の流れになるのかな。うまく理解できなかった箇所もあるが、企業の人材要件を企業が言語化と共有化(言葉の解釈を揃える)できるかがポイントになりそう。

ただ、会社員として働く個人が、幸福感を得て働くために必要な能力や資質は、頻繁に、論理的に説明されうる能力や資質でないことが多い(という実感が私にはある)。たとえば、ラインとしても業務分掌としても「自分の仕事ではない」(だからもちろん自分の成果にはならないし、プロセス評価としても組み込まれない)けれど、ふと、斜め向かいの席の人が困っていたら「あ、それ、やっておきますよ」と言える人(それを自分の評価目的にしない人)がしばしば、巡り巡って仕事を任され、成長し、幸福感を得て働いている気がする。

「俺、この会社に拾ってもらったから、そりゃ、頑張るしかないっしょ」

40歳で某社の役員になった、私的にお世話になっている方が昔、言った言葉である。

「うちの会社に必要な人材の能力と資質はこう」「学生の○○君の能力と資質はこう」でマッチングされた場合、「自分はこの会社に合っているはず」という信じ方は果たして入社後、辛くて無力感に襲われて泣きそうなとき、個人をいかほど「それでも頑張ろう」と奮い立たせてくれるものなのか、疑問ではある。


……とここまで書いて「いや、でも、あの会社はこのマッチング方式でうまくいきそう」という会社が頭に思い浮かんだ。外資なのだが、働き方も、個人と会社の距離感の取り方も、私が何気なく使う「企業(と個人)」とは対極かというくらい、ちがう。それについてはまた今度書いてみようと思う。

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