2011年2月25日金曜日

会えただけで幸せになれた文章

2/25、金曜日。

一橋大学を訪問。
本日は入試日。ということで、学内が静寂と緊張感に包まれており(校内で受験生は見かけなかったが、誘導や警備を担当している教職員の皆さんから伝わってきた)、私も緊張してしまう。緊張って伝播するのよね。

午後、商談。ふむ、なるほど。

・・・・・・

昨日と今日で読んだ本。

・『新装版 ほぼ日の就職論「はたらきたい。」』(ほぼ日刊イトイ新聞)
・『ひとりでは生きられないのも芸のうち』(内田樹・文春文庫)
・『先生はえらい』(内田樹・ちくまプリマー新書)


いやぁ、ぜんぶ良かった。移動中、喫茶店、自宅、貪るように読んだ。

『新装版 ほぼ日の…』は、糸井重里さんをはじめ、それぞれの道のプロフェッショナル(と少なくとも世間では認知されている)の人たちが、等身大の自分の言葉で、はたらくことについて語っていて、随所から「はたらくことのおもしろさ」…というよりも、「はたらいている人たちの人間的な温かさ」が伝わってくる。それは、糸井重里さん、ほぼ日のスタッフの方々が温かいからこそできるのだろうと思う。

内田先生のほうは、読んでいる最中は「なるほど!」と思い、読むほどに世界の成り立ちや働くことや人間や市場経済の本質について理解でき、自分が賢くなったかのような錯覚をおぼえるのだが、「で、どういうことが書いてあるの?」と人に聞かれてもうまく答えられないという、そして、うまく答えられないことによって再び自分のなかで「やっぱりこの人はすごいことを言っているんだ!」と知への尊敬が増長するという、尊敬の螺旋階段状態に陥っていく。確か、3年くらい前に初めて書店で立ち読みしたときに衝撃を受けて(『街場の教育論』だったかな)以来、10冊くらいは読んだと思うのだが、うん、うまくその内容を答えることができないのだ。

『ひとりでは生きられないのも芸のうち』の「あなたなしでは生きてゆけない」というコラムに、とってもとっても素敵な文章を発見したので転載。


(以下、転載)

「餅は餅屋」「蛇の道は蛇」「好きこそものの上手なれ」と多くの俚諺が教えている。
ひとりひとりおのれの得手については、人の分までやってあげて、代わりに不得手なことはそれが得意な人にやってもらう。
この相互扶助こそが共同体の基礎となるべきだと私は思っている。
自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない。
(略)
できることなら私の代わりに誰かがお金を稼いでくれて、ご飯も作ってくれるし、洗濯もアイロンかけも、ゴミ出しもトイレ掃除も全部してくれる状態が来ればいいなと思っている。だって、そうすれば、私はその誰かに代わってお金を稼いだり、ご飯を作ったり、洗濯をしたり、アイロンかけをしたり、ゴミ出しやトイレ掃除をすることができるからである。
自分がしなければいけないことを誰かがしてくれれば、そうやって浮いたリソースで他人のしなければいけないことを私が代わりにやってあげることができる。

(P271-P272)

この文章に会えただけで、幸せな一日。

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