2010年12月6日月曜日

他責からは何も生まれない

12/6、月曜日。

神奈川大学と、横浜市立大学を訪問。
うん、神奈川っていいよね。神奈川県民歴が(数えてみたら)通算21年の私は「神奈川」というだけで、人やモノや学校に親近感をもつことがよくある。神奈川で幼少を過ごしたからかもしれない。

東横線の元住吉という町で育った。

親父が自衛官で、元住吉の官舎(なのに平屋)に住んでいた。小学校4年生で千葉に引っ越したので幼い記憶しかないのだが、学校が終わるとブレーメン通りという商店街をかけぬけ、広い公園で日が暮れるまで野球をしていた。公園には「近づいてはダメ」と言われているオジサンがいて、商店街には、あさりを売っているおじさん、同級生のケーキ屋さんと酒屋さん、そして家の前には駄菓子屋さんがあった。

大人は恐かった。

あさり屋のおじさんに思い切りゲンコツされたし(たぶん何か悪いことしたんだろう)、駄菓子屋さんには「そろそろ帰らないと、こわ~い中学生のお兄ちゃんたちが来るよ~」と脅された(駄菓子屋の隣はゲームセンターだった)。

あの恐い大人たち、商店街でお店をやり、悪さをしたガキへのゲンコツを躊躇しない大人たちは、お金持ちには見えなかったが、他人のせいにしても何も始まらない、という程度のことは知っていた気がする。

・・・・・・

大学キャリアセンター(や就職課や学生支援課)の方々と「就活生の保護者(親)」の話がよく話題になる。入学偏差値の高低関わらず、どの学校でも、だ。就活に対する親の介入が、笑い話ではなくなりつつある。

・うちの子が就職できないのは学校が悪い、という申し立て
・電話で2時間、泣きながら一方的な愚痴
・アポ無で両親そろって来校
・「○○社に内定をもらったのですが、もっと大きくていい会社に就職させたいので、辞退するよう、うちの子に学校からも言ってください」という要求

夏以降、実際に聞いた話だ。キャリアセンターの方も大変だなぁとしみじみ思う。

この厳しい環境下、親が就活へ介入するのは仕方がないと思う。私は子がいないから想像だけど、親バカって、程度の差こそあれ、そういうものではなかろうか。けれど、ベクトル(責任)を学校に向ける保護者に私は気持ち悪さを感じる。それは「学校に私たちはお金を払っている」“から”「対価として就職責任を学校に求める権利がある」という図々しさが(また聞きだけど)見え隠れするからだ。

もちろん、実際に厳しい就職環境を改善し、一人でも多くの学生が「スタートライン」に立てるよう、自分が何をすべきか、何ができるか、就活支援者の一人として私も考え行動しているけれど、すべてを「他責」にする保護者や学生の支援をできる自信がない。

お金は万能じゃない。お金で買えないものがある。
人は自分の意志で変わることはできる。けれど、他人の力で変えてもらおうと思っているうちは、変わらない。
残念ながら、努力が成果に比例しないことがある。
就職、進路、自分の生き方の責任は自分にある。

そういうことを「理解できない」または「意識的に理解しようとしない」「受容しようとしない」親が増えているのであれば、げんなりする。

他責からは何も生まれない。でも、自責だけだど、しんどくなる。

「学校が悪い!」と心底お怒りの保護者の皆様、ここはひとつ、半々でまいりませんか。

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